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「これからは、一人で生きて行くから。もう、お父さんの世話になんか、一円たりともならないわよっ」
なんて、大見得きって家を出たはいいけれど…。 偉大な父親の元で何不自由なく育った私が、何もかもを振り捨ててしまった今、一人でなんてどうやって生きて行くというのだろうか。 何の取り柄もないお嬢様がどれだけ甘やかされて両親におんぶにだっこしてきたのか、今更後悔しても遅いのだが、決心したからにはやれるところまで頑張らないと。 負けを認めるのはまだ早い。 たった今、スタートラインに立ったばかりなのだから。 「まず、住むところを探さなくっちゃ」自分に言い聞かせるようにひとり呟くと、可恵(かえ)は不動産屋を探すことにした。 「高いなぁ。ワンルームなのに8万も9万もするなんて」 店先の窓ガラスに貼ってあった物件を端から順に眺めながら、大きく溜息を吐いた。 たいして貯金をしていなかったというか、する必要もなかった環境にいたのだから仕方がないが、手持ちは悲しいかな、ビビたるもの。 この際、雨風しのげるところならどんな家だっていい。 形振り構っている場合ではないのだ。 「あの、すみません」 「できるだけ、安いアパートないですか?」自動ドアを抜けて店内に入ると、30くらいと思われる男性が怪訝そうに可恵を上から下まで嘗め回すように見つめる。 いらっしゃいませのひと言もない上に偉そうに座っているだけでも腹立たしいのに、この失礼な態度は何なの!! 「あの、聞いてます?安いアパート───」 「何度も言わなくても聞こえてる。君の声は、ただでさえデカイんだから」 大きい声は生まれつきなの、悪かったわねぇ。 だいたい、聞こえているんだったら、つべこべ言ってないで早く質問に答えなさいよ。 カウンターの空いていた席にワザとドカッと大げさに座る。 何て傲慢な男なの。 そう思いつつも、彼から目が離せないのは、今まで会ったどの男性よりも男らしくてそれでいてセクシーな魅力に溢れているからだろう。 見るからに育ちの良さを感じさせる風貌が、余計にこの職場に似つかわしくない。 「だったら、早く探してよ。住むところがないんだから。あと敷金礼金、保証人なし、今日からでも住めるところね」 「あのなぁ。今どき、そんな家がどこにある。仮にあったとしても、君みたいな女性が住むようなところじゃない」 「私みたいなって、どういう意味?」 「そりゃあ」 窓の外から食い入るように物件を見ていた彼女に椎名(しいな)が気付かないはずがない。 色を入れたのとは違う色素の薄いブラウンのストーレートヘアは時折吹くそよ風になびいて、まるでボッティチェリのヴィーナスのように見えたのだから。 しかし、口を開けばこれだ。 可愛い顔からは想像もできないじゃじゃ馬娘、とはいっても芯の強さを感じさせる瞳は髪と同じくブラウンで、見つめられれば男なら誰もが一瞬で恋に落ちてしまうに違いない。 だからこそ、いくら安いところと言われても危ない場所に住まわせるわけにはいかないのだ。 「どーせ、何もできない世間知らずのお嬢様とか思ってるんでしょ。あのねぇ、そういうところが男の偏見だって言うの。女は黙って男に養ってもらえばいいみたいな───」 「ちょっと待て。話が逸れてないか?僕が言いたいのはだな」 「もういいです。あなたじゃ話にならないもの。他に人もいないようだし、別の不動産に───」 「あ?別の、そりゃダメだ」 こんなことでは、悪徳不動産に引っ掛かって取り返しのつかないことになるかもしれない。 それなら、いっそ。 「いい物件があるよ。君にピッタリの」 「ほんと?」 「あぁ。物件は六本木駅から徒歩5分」 「六本木?徒歩5分?」そんな場所に私が住めるような安アパートがあるとは到底思えないんだけど。 さっきの笑顔が一気に萎み、代わって怪訝そうな顔で椎名を見つめ返す。 「ただし、君一人で住むんじゃないんだ。同居人がいる。キッチンは共同だが、ジャグジー付のバスとトイレは君専用に部屋に備え付けてある。敷金礼金、保証人も希望通り、なしでいい。家賃はそうだな、交渉次第では家事全般をこなしてくれれば、タダにしてもいい」 「たっ、タダ?」 「あぁ」頷く彼に再び可恵の顔に笑みが戻った。 しかし、同居人がいる上にやったこともない家事をするなんて…。 でも、六本木という土地に加え、ジャグジー付のバスとなるとかなりの部屋が期待できそうだ。 それに何より、家賃がタダ。 同居人がいようが、例え人間が食べられるかどうかわかわない食事しか作れないとしても進化したこの時代なら何とかなる、これ以上魅力的な話がどこにあるっていうの。 「見せてもらってもいい?」 「もちろん」 彼は立ち上がって可恵の手を取り、入口にCLOSEの看板を下げて外に出ると止めてあった白いメルセデスに乗り込み静かに走り出す。 この人は、一体。 急に不安に駆られたが、なぜか信じていいような気がしたのは傲慢で俺様だけど、目がとても綺麗だったから。 暫く車を走らせ、一際目立つマンションの地下駐車場に車を滑らせる。 「おい…」 無防備なんだよ。 たいした時間じゃなかったはずなのに余程疲れていたのだろうか、気持ち良さそうに寝息を立てながら眠っている。 すっと通った鼻筋、閉じていてもクルンとカールしている長い睫毛に艶やかで柔らかそうな唇。 何より、思わず触れたくなるような滑らかな肌。 よりによって、こんな子を連れて来るなんて。 彼女を守った気になっていたが、実は自分が彼女にとって一番危険な存在になろうとしているのではないだろうか。 しかし、最終的に決めるのは彼女なのだ。 どこまで紳士でいられるか、この誘惑に勝てる自信は全く持ってなかったが…。 「おい、起きろ。着いたぞ」 肩を揺すってようやく目を覚ます。 「もう?」 さっさとシートをベルトを外して運転席を降りた彼は、助手席のドアを開け、ぐずぐずしている可恵のシートベルトを外すと彼女の腕を掴んで引っ張り出した。 「寝てたから外観を見てないだろうけど、部屋はこのマンションの最上階にある。荷物はそれだけか?」 可恵が家から持って出たのは最小限の荷物だけ、ブランド物のきらびやかなドレスやバッグ、宝石はもういらない。 椎名は彼女からバッグを取るとゆっくり歩き出した。 エレベーターの中ではずっと押し黙ったまま、ひたすら数字が最上階に移動するのを目で追っていた。 扉が開くと正面には3001と書かれた札の付いた重厚なドアが一つあるだけ。 彼がポケットからキーを出して開ける。 「ここは、誰の家なの?」 「話は中に入ってからだ」 言われるままに背中に手を添えられて中に入ると大理石の玄関ホール、マンションに住んだことがない可恵だったが、こんなに広い家だったとは。 そういえば、この階にはドアが一つしかなかったということは、フロア全体がこの家の持ち主ということになる。 専用のバストイレが部屋に備え付けてあると言っていたのも頷けた。 奥の部屋に入るとそこは何十畳あるかわからないほどのリビングルームになっていたが、前面ガラス張りで都内が一望できる素晴らしい景色が広がっていた。 「わぁ、すごーい」 「だろ?自慢の景色だ。晴れた日は富士山も見えるし、夜景はまた格別だな」 世界は自分の物だと思えるこの空間が、椎名にとっては何より落ち着ける城だった。 だからこそ、女性を簡単に入れることなどなかったのに、名前すら聞いていない見ず知らずの彼女を連れて来て、挙句住まわせようとしている自分に驚かずにはいられない。 「僕の名前は椎名 翠(しいな みどり)、この家の持ち主だ」 「えっ、この家の持ち主って…」 窓から景色を眺めていた彼女が反射的に振り返った。 日に照らされて、髪がキラキラと輝いている。 「君の部屋はこっちだ」 余計な説明は抜きだといわんばかりに彼はリビングを出て行く。 何部屋あるのかわからないが、付いていかないと迷子になるだろう。 廊下を通って2個目のドアを開けると10畳ほどの部屋があって大きなベッドとソファが置いてあった、横に付いているドアの奥にはジャグジー付のバスとトイレ、洗面所がある。 この部屋も一面ガラス張りで、まるでホテルの一室を見ているような感じだろうか。 「ここが君の部屋。その顔は、何か言いたそうだな」 「ねぇ、えっと椎名さん。どうして、私をここに住まわせようと考えたの?あなたはてっきり、あの不動産屋さんの人だと」 まさか、この人と一緒に住むことになろうとは…。 てっきり、あの不動産屋さんの人だとばかり思っていたが、どう見ても客を迎える態度ではなかったし、同居人が男性だと考えなかった私が悪いのかもしれない。 家事全般をこなせば家賃をタダにしてもいいなんて、虫のいい話が世の中にあるはずがない。 これじゃあ、父の思う壺。 「一応、僕はあの不動産屋を所有してるんでね。他にも、いくつか会社を持ってるんだ」 だから、こんなすごいマンションにも住めるわけね。 彼は父と同じ、全てを持っている。 いつだって女は男の所有物、思い通りになると思ったら大間違いよ。 「そう。すごい、お金持ちなのね。だから、女の一人や二人、自宅に囲っても大したことないってわけ」 「どうしてそうなる」 冗談じゃない。 別に囲おうなんて気持ちは毛頭ないし、慈善事業をやろうってわけでもない。 家賃を払いたいというなら払えばいい。 希望通りの部屋を用意してやったじゃないか。 「家事全般で、この家に住まわせるなんて。愛人にでもするつもり?」 「僕は嘘を言ってはいない。君が家賃を支払うというのならそれでもいい。別に取って食おうとか思ってるわけじゃないさ。言っておくが、僕は君の素性も知らないどころか、名前すらわからないのにこの場所を提供しようとしているんだ。ありがたいと思ってもらわないと困るな」 「よく考えるんだ。決めるのは君だから」パタンとドアが閉まり、可恵は一人残された。 何が、『ありがたいと思ってもらわないと困るな』よ。 偽善者ぶって。 ベッドの上に勢い良く仰向けでダイブする。 今朝まで眠っていたような、スプリングが効いた寝心地の良いベッドだ。 安いボロアパートに住んで、慣れない仕事を見つけて。 所詮、一人で生きて行くなんて無謀だったとわかっている。 こんなベッドで眠ることなんて、悔しいけど、一人じゃどんなに頑張ったってできるわけがない。 「腹減ってないか」 「あのなぁ」大きな溜息が部屋に響く。 ベッドの上で子犬のように丸くなっている彼女を見れば、溜息も出るというものだろう。 だから、無防備だって言ってんだろ。 何度、この言葉を言わせれば済むんだ。 「おい、風邪ひくぞ」 「おい」揺すっても、ちょとやそっとじゃ起きそうにない。 この子は、どんな家の娘なんだろうか? 随分、切羽詰っているようではあったが、顔立ちといい身なりといい、普通の家庭で育ったとは思えない。 『どーせ、何もできない世間知らずのお嬢様とか思ってるんでしょ。あのねぇ、そういうところが男の偏見だって言うの。女は黙って男に養ってもらえばいいみたいな───』 大方、どこかのお嬢様が父親と喧嘩して引っ込みがつかず、家を飛び出したっていうのがオチだろうな。 椎名は、彼女の頬に掛かっていた髪をそっと指ですくうと耳にかけた。 こんな可愛い娘なら、閉じ込めておこうという父親の気持ちがわかるような気がする。 僕はどうかしてるな。 ガバっ。 「ここ。今、何時?」 見慣れない部屋で眠っていたことに頭がはっきりと回らないが、真っ暗な部屋で窓からは夜景が綺麗に見える。 そうだった。 椎名って人の家に来て、そのまま寝ちゃったんだ。 ここを出るとしたら、今夜はどうしよう。 友達には手が回ってるだろうし、ホテルには。 「やっと起きたか」 急に電気が点いて目が眩しい。 「腹減ってないか?何か外に食べに行くか」 「そういえば、空いたかも」 「じゃあ、支度ってこともないな」出て行く彼の背中に向かって声を掛けたが、何を言いたかったのか、言えばいいのかわからない。 彼女のそんな表情を彼は理解したのだろう。 「とにかく、腹ごしらえが先だ」 「私の名前は小澤 可恵(おざわ かえ)、24歳。えっと」 「リビングで待っていてくれないか」 椎名は廊下を挟んだ向かいにある自分の部屋に行くと後ろ手にドアを閉め、携帯を手に取った。 「至急、調べてもらいたい女性がいる。名前は小澤 可恵。年齢は24歳」手短に話して電話を切るとリビングに戻る。 彼女は窓にへばりついて夜景を見ていたが、まさか…。 少しアルコールを入れたかった椎名は、敢えて車ではなく徒歩で街に出ることにした。 六本木の繁華街に出るには別に車がなくても十分だし、彼女には地理も覚えてもらわなければ。 これは、ここに住むと決めたならの話だが。 どこでもいいという彼女に椎名は行きつけの店に案内した。 「何でも好きなものを頼んでいいぞ。僕の奢りだから」 「いえ。きちんとケジメはつけないと」 こういう反応は、椎名にとってかなり新鮮だった。 食事に誘えば、勘定は男が持つのが当たり前だったからか、男はそうするものだと知らぬ間に身についていたからか。 今となっては、よくわからない。 しかし、もし彼女が自分の知っている人の娘さんだとするならば、意外だったと言わざるを得ないだろう。 そんな時、携帯が震え出す。 「失礼」 椎名は席を立って店の隅で電話に出る。 「やっぱり、そうだったか。悪いが、彼女の父親に僕のところで暫く預かることにするから心配しないようにと伝えておいてくれないか。改めて、こちらから連絡を入れるとも」 思った通り、彼女はホテル王と呼ばれる父を持つ、大金持ちの令嬢だ。 何不自由なく暮らしてきたはずなのに、どうして家を出たりなんかしたのだろうか? あの性格からすれば、それもわかるような気がするが。 「お仕事の電話?」 「まぁ」 「それとも、彼女かしら?」 「気になるのか?」 「別に」 席に戻ると、頼んであったビールをカンパイもしないうちに一人で半分以上飲み干していた。 相当の酒豪なんだろうか? 言われてみれば、彼女が男の家に行かなかったということは、付き合っている男はいないということ。 もしかして、まだ誰のものにもなっていないとか。 そうだったら、なんて喜んでいる場合じゃないだろう。 父親とは面識があるが、大事な娘を預かっている男が僕で果たして納得するかどうか。 椎名は一人でカンパイの真似だけして、ビールを喉に流し込む。 「特定の彼女は作らない主義なんでね」 「どうして?」 「どうしてって、色々面倒だし」 「面倒だしって、椎名さんはいくつなんですか?」 「僕は30だけど」 「30にもなって家庭も持てない男では、会社のトップになる資格はないでしょう?」 言ってくれるじゃないか。 あぁ、そうだよ。 世の中、まだまだ妻帯者で人を見る風潮は残っているが、だからといって君に言われたくないんだよ。 24にもなって、親のスネをかじっていた君にはね。 でも、それを打破しようとして行動しただけでも自分より上か。 「君だって、金目当てに近付いてくるような相手と真剣に付き合えないだろう?」 「そんな人ばかりじゃないでしょ」 「世の中、甘くないんだよ。身にしみてわかったと思ったが」 今の私のことを言っているのだろう。 確かにそうだ。 可恵だって、お金で近付いて来る男は数知れず。 本当の恋すらまだしたことがないなんて口が裂けても言えないが、だからこそ、運命の相手に出会えることを信じたい。 「どうするんだ?部屋は空いてる、君がいたいだけいればいい。その間に部屋を見つけるも良し、探すのを手伝ってもいい。24にもなれば、親が出てくる問題でもないだろうから」 「私、家事が全くダメなんで。努力はしますけど、家賃はできるだけ払います。少しの間だけ、置いてもらっても。仕事も見つけないといけなくて」 先に仕事を見つけて収入の確保ができなければ、住むところも探せない。 この状況は不本意でないとも言い切れないが、別の意味で運が良かったともいえる。 「それは構わないが、仕事のあてはあるのか?」 「全然」 開き直りとも取れる言い方に本人も呆れつつ、こうなったらクヨクヨ悩んだって始まらない。 なるようにしかならないんdから。 「良ければ、うちで働ける場所を提供してもいいが」 「どうしてそこまで親切なの?あぁ、もしかして、私が可愛いから?」 「あのなぁ、自分で言うか」 「冗談に決まってるでしょ。単に言ってみただけじゃない」 余程お腹が空いていたのだろう。 運ばれた料理を美味しそうに食べる彼女に図星だったなんて、言えるはずがない。 自分にこんな感情が潜んでいたことも驚きだというのに。 BACK/NEXT お名前提供:小澤 可恵(Kae Ozawa)/椎名 翠(Midori Shiina)… ももび さま すみませんっ、完結させる予定が長くなってしまいました。 そして、タイトルですが、『恋する男たち』というオムニバスのお話を納めた部屋を作る予定ですので(サブタイトルが付くと思います)、仮の形で申し訳ありません。 少々お待ち下さいませ。 PR |
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